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平家追討の第一の功績者であるにもかかわらず、兄頼朝から追われる身となり、奥州平泉の藤原秀衡を頼った源義経は・・・ 1189年(文治5年)閏4月30日、頼朝を恐れた秀衡の子泰衡に攻められ、奥州平泉の衣川館で自刃した。 『吾妻鏡』には、6月13日、和田義盛と梶原景時が腰越の浜で首実検を行ったことが記されている。 首は腰越の浜に捨てられたが、潮に乗って境川を遡り、この辺りに漂着。 里人がその首をすくいあげ、洗い清めたのがこの井戸と伝えられている。 |
藤沢市藤沢2−1−10 小田急「藤沢本町」下車 徒歩5分 白旗神社から徒歩5分 |
義経が平泉で自刃したのは1189年(文治5年)閏4月30日、義経の首が腰越の浜に到着したが6月13日。 なぜ、そんなにも時間がかかったのか? その理由は・・・ 源頼朝が亡母由良御前の供養のためと鶴岡八幡宮の伽藍を整備するために建て始めていた五重塔にある。 |
白旗神社 |
義経・弁慶の像 (白旗神社) |
荘厳寺 |
弁慶塚 (常光寺) |
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