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宗仲寺は、1603年(慶長8年)、徳川家康の家臣・内藤清成が父の竹田宗仲の菩提を弔うために創建。 開山は、鎌倉の大長寺第四世の暁誉源栄。 源栄は、若い頃に三河国の大樹寺で修行をしていたため、岡崎城で誕生した家康と親交があったと伝えられ、境内のイチョウは鷹狩の際に度々訪れていた家康のお手植えなのだという。 1617年(元和3年)、家康の棺が久能山から日光山に遷される際、宗仲寺が休憩所として使用されたのだと伝えられている。 |
内藤清成は三河国岡崎で誕生。 岡崎譜代の内藤忠政の養子となり、家督を継ぐと浜松で徳川家康に仕えた。 家康の江戸入りでは先鋒を務め、現在の新宿御苑周辺に屋敷があったのだという。 高遠藩内藤家初代。 宗仲寺が建立された当麻宿は清成の所領だった。 |
開山の暁誉源栄は、徳川家康が生まれた岡崎城の北にある大樹寺で修行を積んだ後、増上寺の法主(指導者)となり、鎌倉の大長寺の第四世となる。 1590年(天正18年)の小田原征伐では家康の命により北条氏勝に玉縄城の開城を説得したと伝えられている。 家康の側室西郷局の母貞宗院の菩提寺・貞宗寺(鎌倉市)は源栄が開いた。 |
大長寺 |
貞宗寺 |
1614年(慶長19年)には、修行を積んだ大樹寺に住持し、1618年(元和4年)、宗仲寺に隠棲したのだという。 1633年(寛永10年)11月10日 死去。 |
岡崎城 |
大樹寺 |
岡崎城は家康が誕生した城。 家康は、桶狭間の戦い後、今川氏の支城となっていた岡崎城を奪還。 源栄は、松平氏・徳川将軍家の菩提寺である大樹寺で修行していた頃、家康から気に入られたのだという。 |
1616年(元和2年)4月17日、駿府城で死去した家康は久能山に葬られ、翌年、日光山に改葬されたのだという。 久能山から日光山に向かう家康の棺を運ぶ一行は、源栄が開いた宗仲寺で休息したのだとか。 |
久能山東照宮 |
家康の宝塔 (久能山) |
日光東照宮 |
家康の宝塔 (日光山) |
座間市座間1−3300 JR相模線「相武台下」から徒歩5分 |
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