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「義高の鯉のぼり」は、源頼朝の命により入間川八丁の渡し付近で誅殺された木曽義仲の嫡男義高の供養と、子どもたちの健康と成長を祈念して掲揚されているもの。 掲揚場所は河川敷中央公園で、掲揚期間はGW期間中。 飲食やワークショップなどの出店も。 |
2024年義高の鯉のぼり |
1183年(寿永2年)3月、父の義仲が頼朝と対立した際、義高は人質として鎌倉へ送られました。 翌1184年(元暦元年)1月、源範頼と源義経の追討で義仲が討死(粟津の戦い)すると・・・ 4月、頼朝は義高を殺害することとします。 義高は、頼朝の娘大姫の計らいで鎌倉を脱出しますが・・・ 4月26日、入間河原で殺害されました。 12歳だったといわれています。 |
幟には「矢車」の紋。 義高を祀る清水八幡宮の社紋。 矢には幸運を射止める、邪悪なものを打ち破るという意味が・・・ 鯉のぼりの吹き流しの上につける風車も「矢車」。 義高が「子どもたちを見守ってくれる」という願いが込められているのかも。 |
端午節会(端午の節句)は、平安時代の宮中で盛んに催され、清少納言は『枕草子』に「節供は5月に及ぶものはない」と記し、紫式部は『源氏物語』に描いている。 江戸時代になると、端午の節句に男児の健やかな成長を願って鯉のぼりが飾られるようになる。 |
清水八幡宮は義高を祀る神社。 義高の遺体は、里人によって入間河原に葬られ、大姫の母北条政子が供養をし、義高を祀る社が建てられたのだという。 |
影隠地蔵は、源頼朝の追手から逃れる義高が身を隠したという地蔵尊。 |
鎌倉の常楽寺裏山にある木曽塚は、木曽義高の墓と伝えられている。 木曽塚にも小さいですが鯉のぼりが掲げられます。 |
埼玉県狭山市柏原2910 入間川河川敷 西武鉄道新宿線狭山市駅から徒歩20分 |
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