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影隠地蔵(かげかくしじぞう)は、木曽義高(源義高)の伝説がのこされた地蔵尊。 1184年(寿永3年)、源頼朝は木曽義仲を滅ぼすと、鎌倉に人質として預けられていた義仲の嫡男義高も誅殺することに。 許嫁だったという頼朝の娘大姫の手を借りて鎌倉を脱出した義高は、入間河原まで辿り着くと、追手から逃れるため、一時的に地蔵尊の背後に身を隠したのだという。 そのため、その地蔵尊は影隠地蔵と呼ばれるようになったのだとか。 かつては木像で地蔵堂に安置されていたというが、現在の地蔵尊は1874年(明治7年)に置かれた石像。 |
埼玉県狭山市柏原240−1 西武鉄道新宿線狭山市駅から徒歩30分 |
『吾妻鏡』によると、木曽義高は1184年(元暦元年)4月26日、入間河原で殺害された。 入間川対岸の清水八幡宮は義高を祀る神社。 |
毎年5月のゴールデンウィーク期間中、入間川の河川敷には義高の供養と子供たちの健康と成長を祈念して鯉のぼりが掲揚される。 |
鎌倉の常楽寺裏山にある木曽塚は、木曽義高の墓と伝えられている。 |
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