|
清瀧寺(せいりゅうじ)は、1579年(天正7年)に二俣城で自害した松平信康の菩提寺。 信康は小松原長安院に葬むられたが、翌年、父の徳川家康が長安院に位牌堂を建立。 さらにその翌年に再訪した家康は、清水の湧き出るのを見て清瀧寺と改めさせたのだという。 知恩院の末寺。 山号は信康山。 本尊は阿弥陀如来。 |
松平信康は、徳川家康の嫡男。 家康は信康に三河国の岡崎城を任せていたが・・・ 1579年(天正7年)、信康とその母・築山殿が武田に内通していたとして織田信長から殺害するよう命じられる。 家康は、8月29日に築山殿の殺害を命じ、9月15日には二俣城で信康を自害させたのだという。 廟所には、信康自刃の際に殉死した吉良初之丞、二俣城主だった大久保忠世、三方ヶ原の戦いで討死した中野正照・青木吉継の墓もある。 |
※ | 近年の研究では、信康と対立した家康が自身の考えで自刃させたという説がある。 |
二俣城は、浜松城の防衛拠点となった城で、家康と武田信玄の激しい争奪が繰り広げられた。 1579年(天正7年)8月3日、岡崎城を出された信康は、大浜城・堀江城に移され、さらに二俣城に移された後、9月15日に自刃を命じられたのだと伝えられている。 城主だった大久保忠世は、のちに小田原城主になると城下に信康を供養するための萬松院を建立している。 |
西来院の月窟廟は、殺害された築山殿の廟堂。 |
長勝院・お万の方〜結城秀康を産んだ徳川家康の側室〜 西郷局・お愛の方〜徳川秀忠を産んだ徳川家康の側室〜 |
萬松院は、1592年(文禄元年)、小田原城の城主となった大久保忠世が信康を供養するために創建。 信康を自害させたことを悔やんでいたという忠世は、1594年(文禄3年)、信康が自害した日と同じ9月15日に死去。 自身が創建した大久寺に葬られたのだという。 |
西念寺は、信康の介錯を命じられたという服部半蔵が信康の慰霊のために創建した安養院を前身とする寺。 信康の供養塔と半蔵の墓が残されている。 |
築山殿〜正室を殺害し嫡男信康を自害させた徳川家康〜 松平信康の介錯を命じられた服部半蔵 |
天竜川から二俣城へ水を汲み上げるために用いられていたという井戸櫓を復元したもの。 1572年(元亀3年)、二俣城を包囲した武田信玄は、天竜川の上流から筏を流して井戸櫓の脚柱を破壊して水の手を絶ち、開城させたのだという。 |
境内に植えられている密柑(みかん)は、家康が駿府城に植えた木から挿し木で分けられたもの。 県の天然記念物に指定されている。 |
信康の切腹後、武田勝頼は織田信長・徳川家康連合軍に攻められ、1582年(天正10年)3月11日、甲斐国天目山の麓で自刃。 同年6月2日、織田信長は、本能寺逗留中に明智光秀に攻められて自刃。 |
安土饗応〜織田信長・徳川家康・明智光秀と本能寺の変〜 |
静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1405 天竜浜名湖鉄道「二俣本町」駅から徒歩約10分。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|