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萬松院(ばんしょういん)は、1592年(文禄元年)、小田原城の城主だった大久保忠世が創建した曹洞宗の寺院。 1590年(天正18年)の北条氏滅亡後、主君の徳川家康が関東移封となったことで小田原城に入城した忠世。 遠江国の二俣城で自害させられた松平信康を供養するために建立したのが萬松院。 山号は清瀧山。 本尊は観世音菩薩。 |
松平信康は、徳川家康の嫡男。 1579年(天正7年)、当時、浜松城を本拠としていた家康は・・・ 三河国の岡崎城を任せていた信康とその母・築山殿が武田に内通していたとして、8月29日に築山殿を殺害、9月15日には二俣城で信康を自害させた。 当時の二俣城の城主は、大久保忠世。 無実を主張していた信康を自害させてしまい悔やんでいたという忠世は・・・ 萬松院を建てた二年後の1594年(文禄3年)、信康が自害した日と同じ9月15日に死去したのだという(享年63)。 長く、美濃国の鵜沼城主だった大澤正秀と三男の正重の五輪塔が信康のものとされてきたが、2021年(令和3年)、信康の五輪塔が新たな建てられた。 |
大澤正秀は、斎藤道三の娘を妻とし、織田信長・豊臣秀吉に仕えた武将。 晩年は、大久保忠世に庇護されて萬松院で過ごしていたのだという。 |
大久保忠世は、源頼朝に仕えた下野国宇都宮氏の三代当主・朝綱の子孫ともいわれる。 大久保氏の先祖は、新田義貞に仕えた後、三河国に土着し、松平氏三代当主の信光に仕えるようになったのだという・・・ |
大久保忠世の先祖は源頼朝に仕えた宇都宮朝綱? |
信康が自害させられた二俣城は、浜松城の防衛拠点だった城。 家康と武田信玄の激しい争奪が繰り広げられた城で、長篠の戦い後、大久保忠世が城主となった。 |
清瀧寺は、家康が信康の菩提を弔うために建立した寺。 廟所には、大久保忠世の墓もある。 |
大久寺は、大久保忠世創建の寺で、境内には忠世をはじめとする大久保家の墓が建てられている。 |
大久保神社は、小田原藩初代藩主の大久保忠世と、二宮尊徳を起用して藩政改革を行った十一代藩主・大久保忠真を祀る社。 |
西念寺は、信康の介錯を命じられたという服部半蔵が信康の慰霊のために建てた安養院を前身とする寺。 信康の供養塔と半蔵の墓が残されている。 |
築山殿〜正室を殺害し嫡男信康を自害させた徳川家康〜 松平信康〜切腹させられた徳川家康の嫡男〜 松平信康の介錯を命じられた服部半蔵 |
小田原市風祭863 箱根登山鉄道「風祭駅」から徒歩5分 |
小田原市城内6−1 小田原駅から徒歩10分 |
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