|
西念寺(さいねんじ)は、1594年(文禄3年)、徳川家康の譜代家臣・服部正成(半蔵)が建立した安養院を前身とする。 江戸麹町の清水谷に庵(安養院)を建立した正成は、1579年(天正7年)に遠江国の二俣城で自害した松平信康の慰霊ための供養塔を建て、余生を過ごしたのだという。 1596年(慶長元年)に死去した正成は安養院に葬られた。 生前、家康から寺院を建立するように命じられたが、果たすことができなかったのだと伝えられている。 その後、安養院は江戸城拡張工事で現在地に移転し、西念寺として再建された。 山号は専称山。 院号は安養院。 宗旨は浄土宗 山号寺号は、正成「専称院殿安譽西念大禅定門」に因むもの。 正成が浜松城で家康より拝領したと伝わる槍を所蔵。 |
築山殿〜正室を殺害し嫡男信康を自害させた徳川家康〜 松平信康〜切腹させられた徳川家康の嫡男〜 松平信康の介錯を命じられた服部半蔵 |
松平信康が切腹した二俣城は、浜松城の防衛拠点となった城で、家康と武田信玄の激しい争奪が繰り広げられた。 1579年(天正7年)8月3日、岡崎城を出された信康は、大浜城・堀江城に移され、さらに二俣城に移された後、9月15日に切腹を命じられたのだと伝えられている。 |
信康は小松原長安院に葬むられた。 家康は長安院に位牌堂を建立し、清瀧寺と改めさせたのだという。 |
萬松院は、のちに小田原城の城主となった大久保忠世が信康を供養するために創建。 信康を自害させたことを悔やんでいたという忠世は、1594年(文禄3年)、信康が自害した日と同じ9月15日に死去。 自身が創建した大久寺に葬られたのだという。 |
東京都新宿区若葉2−9 JR中央線「四ツ谷駅」から徒歩5分 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|