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乃木神社は、明治天皇大葬の日に自刃した乃木希典・静子夫妻を祀る社。 乃木希典(乃木将軍)は、日露戦争で旅順要塞を攻略し、東郷平八郎とともに日露戦争の英雄として讃えられた人物。 明治天皇の希望により学習院院長を務め、明治天皇の3人の孫の養育係を任せられた。 昭和天皇も乃木の教育を受けた。 「いさをある人を教への親として おほし立てなん大和撫子」 明治天皇が乃木将軍の学習院院長就任を祝して贈った歌。 |
1912年(明治45年)7月19日、乃木は、学習院の生徒を連れて江の島の片瀬海岸へ水泳演習に向う途中、新橋駅の号外で明治天皇が倒れたことを知ったのだという。 その後、明治天皇は7月29日に容態が急変し、翌30日に崩御された。 最初に拝訣を許されたのが乃木だったといわれている。 9月13日、青山の大日本帝国陸軍練兵場(現在の神宮外苑)で明治天皇の大喪の礼が執り行われた。 明治天皇の柩を載せた車が出発した午後8時、乃木は赤坂の自邸で静子夫人とともに自刃。 乃木夫妻の忠誠心に感激した国民はこぞって乃木邸を訪れ、その数は日増しに増えていき、葬儀と同時に「幽霊坂」と呼ばれていた坂の名前が「乃木坂」と改められたのだという。 乃木希典辞世の歌 「神あかりあかりましぬる大君の みあとはるかにおろかみまつる」 「うつし世を神さりましし大君の みあとしたたひてわれはゆくなり」 静子夫人辞世の歌 「いでましてかへります日のなしときく けふの御幸に逢ふそかなしき」 |
かつて、江の島の片瀬海岸には、乃木の銅像が建てられていた。 その銅像がどこにいったのかは不明だが、島内の児玉神社には、銅像と一緒に設置されていた「爾霊山高地」(203高地)の岩石が残されている。 |
1913年(大正2年)、東京市長だった阪谷芳郎を中心に「中央乃木会」が組織され、乃木邸内の小社に乃木夫妻の霊が祀られた。 1923年(大正12年)には、乃木神社が創建され、11月1日に鎮座祭が行われている。 1945年(昭和20年)5月の東京大空襲で焼失してしまうが、1962年(昭和37年)、御祭神50年祭に併せて本殿・幣殿・拝殿が復興された。 |
乃木神社の隣接地には、乃木希典・静子夫妻の邸宅と馬小屋が残されている。 |
乃木が師事した玉木文之進と、その甥の吉田松陰を祀る社(1963年(昭和38年)建立)。 |
乃木夫妻が信仰していた王子稲荷神社を勧請して建てられた社(1962年(昭和37年)建立)。 |
野木神社は、源頼朝の野木宮合戦で知られる社。 「野木」と「乃木」が同じ読みであるという理由から、乃木は何度か参拝し、陣羽織などを奉納しているのだという。 |
乃木希典は、源頼朝に仕えた佐々木高綱の次男・野木光綱の末裔だと伝えられている。 鳥山八幡宮は高綱の館跡に鎮座する神社。 |
沙沙貴神社は、近江源氏・佐々木氏発祥の地に鎮座する神社。 |
明治天皇を祀る明治神宮は、2020年(令和2年)で創建100年。 |
渋沢栄一は、1924年(大正13年)に乃木神社大祭の時に掲揚する大幟の文字を揮毫したのだという。 |
東京都港区赤坂八丁目11−27 地下鉄千代田線「乃木坂駅」1番出口。 |
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