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沙沙貴神社(ささきじんじゃ)は、日本神話の時代に近江国蒲生郡に創建された社。 少彦名神がササゲの豆のサヤに乗って海を渡り、この地に降り立ったことからササキ神社が建てられたという伝説がある。 この地が「ササキ」と呼ばれるようになったのもそのためといわれる。 |
平安時代になると、沙沙貴神社は宇多源氏の佐々木氏の氏神として崇敬されるようになる。 1159年(平治元年)、平治の乱で源義朝に味方して敗れた佐々木秀義は、近江国を追われて相模国へ落ち延び渋谷重国に庇護されることとなるが・・・ 1180年(治承4年)、伊豆国の源頼朝が挙兵すると秀義の子定綱・経高・盛綱・高綱が頼朝の下に参じ、源平の合戦後は定綱が近江国守護となっている。 |
大鳥居の掲額「佐佐木大明神」の字は、源頼朝の筆と伝えられている。 「佐佐木大明神」とは、沙沙貴神社に祀られている少彦名命・大彦命・仁徳天皇・宇多天皇・敦実親王のこと。 |
権殿には、宇多源氏の祖・源雅信、佐々木氏の流れを汲む六角氏頼も祀られている。 |
乃木希典(乃木将軍)は、日露戦争で旅順要塞を攻略し、東郷平八郎とともに日露戦争の英雄として讃えられた人物。 先祖は、源義経に従い宇治川の戦いで梶原景季と先陣争いをした佐々木高綱。 |
乃木神社 (東京都港区) |
旧乃木邸 (東京都港区) |
戦国期に石田三成の居城となったことで知られる佐和山城は、佐々木定綱の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりといわれる。 |
戦国期、佐々木の地には安土城が築かれ、織田信長の支配下となり、それまで治めていた六角氏(佐々木氏の一流)が追放されてしまうが、沙沙貴神社は破却されずに済んだ。 |
承久の乱で佐々木一族の多くは後鳥羽上皇側に付き、佐々木四兄弟の次男経高は壮絶な自害を遂げている。 |
滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1 JR「安土駅」から徒歩15分 |
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