|
松葉ヶ谷の法難後、鎌倉に戻った日蓮だったが、1261年(弘長元年)、伊豆流罪となった(伊豆法難)。 日蓮は、材木座海岸から船で護送されるが、伊東沖の「まないた岩」と呼ばれる小さな岩に降ろされてしまう。 それを助けて匿ったのが、材木座の妙長寺を建てた漁師の舟守弥三郎(日実)であったと伝えられている。 |
材木座の妙長寺は、由緒ある場所を後世に残すため、日蓮が伊豆に流されたときに船が出された沼ヶ浦に建てられた。 しかし、江戸時代に津波で流されたため、現在地に移っている(参考:材木座海岸)。 妙長寺に建つ伊豆法難の相輪塔は、かつて、関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の二の鳥居の柱を土台として使用していたのだという。 |
伊豆流罪となった日蓮の船は、材木座海岸の豆腐川河口から船出したといわれている。 日実の建てた妙長寺も当初はこの辺りにあったという。 |
江川邸は、韮山代官を務めた江川氏の屋敷。 十六代目の英親は、伊東に流されていた日蓮を屋敷に迎え供養をつくしたという。 その時に家屋の修築を行い、日蓮から自筆の棟札を贈られた。 そのおかげで、江川邸は700年もの間、無事に保たれてきたのだと伝えられている。 |
本立寺は江川氏の菩提寺。 日蓮が教化を行ったところとされている。 |
松葉ヶ谷法難 ◎小松原法難 |
伊豆法難 龍ノ口法難 |
|