|
清凉寺の阿弥陀堂は、895年(寛平7年)の創建。 清凉寺は、嵯峨天皇の皇子で『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルともされる左大臣源融の別荘・栖霞観(せいかかん)があった場所に、融の死後、遺族が阿弥陀三尊像を造立し、阿弥陀堂に安置したことに始まる。 阿弥陀堂は棲霞寺と称された。 安置された阿弥陀三尊像は、融が生前に発願したものだという。 現在の建物は、1863年(文久3年)に再建されたもの。 |
源融が発願し造立された木造阿弥陀三尊坐像。 阿弥陀堂(棲霞寺)創建時の造立と考えられ、国宝に指定されている。 |
源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇の十二男。 最高官職は左大臣。 紫式部の『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる人物のうちの一人。 源頼光の四天王と称され、一条戻橋で源氏重代の「髭切りの太刀」で鬼の腕を切り落とした源綱は融の孫にあたる。 邸宅は六条にあった河原院で、その一部は東本願寺の庭園(渉成園)となっている。 宇治の平等院も融の別邸だった。 |
源融 河原院址 |
渉成園 |
河原院は源融の邸宅。 渉成園は、東本願寺の飛地境内地で河原院の一部に造営された庭園。 光源氏が夕顔を連れ出した某院は河原院がモデルといわれる。 |
平等院 |
融神社 (大津市) |
平等院は、源融の別邸「宇治殿」(うじどの)があった場所。 融の没後は、宇多天皇・源重信(宇多天皇の孫)を経て藤原道長のものとなった。 道長の子頼通が宇治殿を寺としたのが平等院。 融神社は、源融を祀る社。 |
最愛の女性・紫の上を亡くした光源氏は、七夕の日に涙を流した。 |
紫の上の死後、出家した源氏は、嵯峨に隠棲し、亡くなったらしい・・・ |
清凉寺は、東大寺の「然(ちょうねん)が中国の宋より持ち帰った釈迦如来(国宝)を本尊とする(三国伝来の釈迦如来)。 全国にこの像の模刻が広まり、清凉寺式釈迦如来として鎌倉の極楽寺や横浜の称名寺にも伝えられ、東京目黒の大円寺の清凉寺式釈迦如来は最古と言われる。 |
京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46 ・JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」より徒歩15分 ・京福電鉄「嵐山駅」より徒歩10分 ・市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車徒歩2分 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|