|
源重信(みなもとのしげのぶ)は、宇多天皇の第八皇子・敦実親王の四男。 母は藤原時平の娘。 藤原道長の岳父となった源雅信の弟。 922年(延喜22年)誕生。 960年(天徳4年)、参議に任ぜられ公卿に列する。 969年(安和2年)、安和の変で左遷された源高明の娘婿であったことから昇殿を止められていたが・・・ 円融天皇の時代になると、大納言まで昇進し、973年(天禄4年)に再び昇殿を許された。 991年(正暦2年)、一条天皇のもとで右大臣に任ぜられ、兄の雅信とともに左右の大臣を務めることに。 994年(正暦5年)、雅信が薨去すると左大臣となり、居貞親王(のち三条天皇)の東宮傅も兼ねていたが・・・ 翌995年(暦6年)5月8日、薨去(74歳)。 |
重信は宇治に別荘を所有していたが、死後、姪の倫子の婿となった藤原道長に譲られている。 平等院は、その道長の別荘「宇治殿」が始まり。 |
仁和寺は、重信の祖父・宇多天皇が完成させた御室御所と呼ばれた寺院。 若い頃、重信は出家して仁和寺に住んでいた父・敦実親王を尋ねているが・・・ 修理大夫(修理職)を務めていたことから、その行き帰りに内裏の周囲を見て回り、破損している箇所を修理していたのだという。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|