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融神社(とおるじんじゃ)は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人・源融(みなもとのとおる)を祀る社。 寛平年間(889年〜898年)に融が閑居した旧蹟。 融はこの地に鏡一面を埋め、後に伊香立の荘官がその鏡を掘り出して祠を建てたのが融神社の始まりと伝えられている。 花山法皇は社殿を造営し、一条天皇は南庄の水田百町歩を神領としたのだという。 |
源融は、嵯峨天皇の皇子。 源朝臣の姓を受けて臣籍に下った後、左大臣にまで昇進したが、摂政・藤原基経の台頭により河原院に隠棲。 豪奢な生活を送って河原左大臣と称された。 |
源融 河原院址 |
渉成園 |
河原院は源融の邸宅。 渉成園は、東本願寺の飛地境内地で河原院の一部に造営された庭園。 光源氏が夕顔を連れ出した某院は河原院がモデルといわれる。 |
源融の供養塔 (渉成園) |
塩釜と手水鉢 (渉成園) |
河原院に陸奥国の塩竃の風景を模した庭園を造営したという源融。 渉成園には、源融の供養塔や塩釜と塩釜の手水鉢がある。 |
清凉寺 |
平等院 |
清凉寺は、源融の別邸「栖霞観」(せいかかん)があった場所。 平等院は、源融の別邸「宇治殿」(うじどの)があった場所。 融の没後は、宇多天皇・源重信(宇多天皇の孫)を経て藤原道長のものとなった。 道長の子頼通が宇治殿を寺としたのが平等院。 |
阿弥陀堂 (清凉寺) |
源融の墓 (清凉寺) |
清凉寺の阿弥陀堂の木造阿弥陀三尊坐像は、融の発願で造立されたのだという。 清凉寺には融の墓がある。 |
滋賀県大津市伊香立南庄町1846 |
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