|
51歳の年の8月15日、最愛の女性・紫の上を亡くした光源氏。 『源氏物語』(幻の巻)には、翌年の七夕に「もう一年に一度の逢瀬も叶わず嘆き悲しむ源氏の姿」が描かれている。 管弦の遊びもせず、物思いに耽り、一緒に牽牛と織女の逢瀬を見上げる人もいない・・・ 深夜、妻戸を開けると、庭の木は露で濡れている。 外に出た源氏は、 「たなばたの逢ふ瀬は雲のよそに見て別れのにはに露ぞおきそふ」 と詠んだ。 七夕の牽牛と織女の逢瀬は雲の上の世界のこと。 地上では、紫の上と別れた庭の木を、二星の別れを惜しむ涙の露が覆い、さらに私の悲しみの涙が降り注いでいる・・・ |
大覚寺は嵯峨天皇が営んだ嵯峨院を前身とする寺。 紫の上の死後、出家した光源氏は、嵯峨院で暮らしたのだという。 |
嵯峨釈迦堂と呼ばれる清凉寺は、光源氏のモデルとされる人物のひとり源融の別荘「栖霞観」があった地に建てられた寺。 |
今宮神社の織姫社に祀られているのは、七夕伝説の織姫に機織(はたおり)を教えた神ともいわれ、技芸上達を願う人々の崇敬を受けている。 |
『紫式部集』は紫式部の自撰歌集。 夫の藤原宣孝が通って来なくなって寂しい紫式部は、彦星と織姫の逢瀬を羨ましがっている・・・ |
紫式部の歌~夫婦仲に秋風が立ち、天の川の逢瀬を羨む~ |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|