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北条義時に、暗殺という不吉なできごとを予感させた動物(十二神将の化身)は何か。 (第11回鎌倉検定試験3級) |
1 猿(申) 3 馬(午) |
2 犬(戌) 4 鶏(酉) |
鶴岡八幡宮で行われた源実朝の右大臣拝賀式に、戌神将が白い犬に姿を変えて現れ、北条義時の命を救ったのだと伝えられています。 |
源実朝が公暁に暗殺された際、北条義時に暗殺の危機を告げたといわれている白い犬は、どこの戌神将の化身といわれているか。 (第13回鎌倉検定試験2級) |
1 鶴岡八幡宮 3 大倉薬師堂 |
2 粟船御堂 4 新居閻魔堂 |
北条義時は、源実朝が暗殺される前年、家臣らに反対されながらも私財を投じて大倉薬師堂(現在の覚園寺)を建てました。 |
辻の薬師堂の戌神将は、大蔵薬師堂にあった運慶の戌神将の模刻といわれています。 覚園寺の現在の戌神将は、室町時代のもので二代目。 |
覚園寺は、北条義時が建てた大蔵薬師堂を前身に、九代執権北条貞時が蒙古襲来(元寇)が再び起こらぬことを祈願して寺に改めたのだと伝えられています。 |
源実朝の暗殺を北条義時追討の好機と考えて、鎌倉幕府に戦いを挑んだ人物はだれか。 (第11回鎌倉検定試験3級) |
1 後三条天皇 3 後白河法皇 |
2 鳥羽上皇 4 後鳥羽上皇 |
1221年(承久3年)、後鳥羽上皇は城南寺(城南宮)の流鏑馬揃えを口実に兵を集め、北条義時追討の院宣を発しました(承久の乱)。 |
『吾妻鏡』によると、承久の乱に際して源頼朝の御恩を説き、御家人を激励したと伝えられる人物はだれか。 (第12回鎌倉検定試験3級) |
1 北条時政 3 北条政子 |
2 北条義時 4 北条泰時 |
北条政子は後鳥羽上皇挙兵の報に動揺する御家人に対し、「故右大将(源頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い・・・」と説いて御家人の結束を固めたとのだと伝えられています。 |
鶴岡八幡宮の今宮には、承久の乱で流された後鳥羽、土御門、順徳の三上皇(天皇)が祀られています。 |
『吾妻鏡』に「前奥州禅門葬送す。故右大将家(源頼朝)法華堂の東の山上をもって墳墓となす」とあることから、法華堂東隣の山の中腹に墓所があるとされる「前奥州禅門」とはだれのことか。 (第13回鎌倉検定試験3級) |
1 北条時政 3 北条重時 |
2 北条義時 4 北条泰時 |
2005年(平成17年)、源頼朝墓東隣の山の中腹から北条義時のものと考えられる法華堂跡が発掘されています。 |
鎌倉時代に、執権をつとめた人物を古い順に並べたときに正しいものはどれか。 (第4回鎌倉検定試験1級) |
1 | 北条泰時→北条義時→北条経時→北条時宗→北条時頼→北条高時 |
2 | 北条義時→北条時宗→北条時頼→北条経時→北条泰時→北条高時 |
3 | 北条義時→北条泰時→北条経時→北条時頼→北条時宗→北条高時 |
4 | 北条泰時→北条義時→北条時頼→北条経頼→北条時宗→北条高時 |
北条義時に関する記述で正しいものはいくつあるか。 (第5回鎌倉検定試験1級) |
ア | 父北条時政を引退させた後、執権として姉北条政子とともに3代将軍源実朝を補佐した。 |
イ | 後鳥羽上皇による承久の乱では、朝廷方の軍を破って、鎌倉幕府の基盤を強固にし、朝廷の動きを監視するために六波羅探題を設けた。 |
ウ | 宝治合戦によって、有力御家人の三浦泰村とその一族を滅ぼした。 |
エ | 大倉薬師堂の戌神将による夢のお告げによって、鶴岡八幡宮での源実朝暗殺のとき、自らの難を免れた。 |
オ | 妻の母のために常楽寺の前身である粟船御堂を建て供養した。墓は常楽寺にある。 |
北条義時は、父時政を伊豆国に追放して実権を握りました(参考:畠山重忠の乱・牧氏の変)。 承久の乱では、姉政子と協力して幕府の危機を乗り切り、乱後、京都に六波羅探題を設置しました。 宝治合戦で三浦泰村を滅ぼしたのは北条時頼。 源実朝が暗殺されたときは、体調不良を理由に途中で右大臣拝賀式を欠席しています。 常楽寺は、北条泰時の建てた粟船御堂をその前身としています。 |
受験申込み等の詳細は 鎌倉商工会議所ホームページで。 |
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