藤原定子の懐妊と藤原道長の宇治遊覧 |
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999年(長保元年)、一条天皇の中宮・藤原定子が懐妊。 8月9日、定子は出産のため平惟仲の弟で中宮職の大進だった生昌の屋敷に行啓するが・・・ 行啓の日、藤原道長は宇治遊覧に出かけていたらしい。 藤原実資の『小右記』によると・・・ この日、道長は藤原道綱や藤原斉信など多くの人々を引き連れて宇治遊覧を行い、その晩は宇治殿に泊まるため「行啓には不参」という態度を示した。 道長の行動により、宇治に従わなかった公卿らも不参を表明。 藤原実資は、行啓を妨害する行為だと強く批判している。 藤原行成は、一条天皇に道長らの不参を報告したようだが、一条天皇は行啓を延期することはなかった。 11月19日、定子は敦康親王を出産している。 |
平等院は、藤原道長が所有した別荘「宇治殿」が始まり。 平等院の前身「宇治殿」は、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされる源融が営んだ別荘が始まり。 宇多天皇、源重信(宇多天皇の孫)を経て道長のものとなった。 |
藤原定子の出産・崩御と平惟仲、平生昌、清少納言、藤原道長 藤原詮子の晩年 ~平惟仲邸が御所・藤原行成邸で崩御~ |
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