安倍晴明の占いと師弟を救った三井寺の泣不動 |
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清浄華院に伝わる『泣不動縁起』によると・・・ 三井寺(園城寺)の智興という僧が病気になった。 安倍晴明が占うと・・・ 弟子のうちの一人が身代わりになれば助かると出た。 なかなか身代わりになろうとする者がいない中、証空という弟子が名乗りを上げたのだという。 そこで、晴明は泰山府君の法を修し、証空に智興の病気を移したのだという。 病の苦しみが続く中、証空は信心していた不動明王に助けを求める。 すると、不動明王が証空の志に涙を流し、代わりに冥途へ旅立って証空の病が癒したのだとか。 『泣不動縁起』は、三井寺の塔頭・常住院にあったもので重要文化財。 三井寺の泣不動を信仰していた、清浄華院五世の向阿が三井寺から持ってきたのだという。 |
泰山府君は人間の生死・寿命や死後の審判を司る道教の神。 仏教の閻魔大王に相当する。 陰陽道では最高神とされ、安倍晴明が始めた泰山府君祭で祀らるようになる。 |
清浄華院は、比叡山の円仁が開創し、法然が浄土宗に改宗したと伝えられる寺院。 向阿が開創した浄華院が始まりともいわれる。 天正年間に現在地に移転し、近くには紫式部邸跡と言われる蘆山寺がある。 境内には、藤原道長が建立した法成寺ものと考えられている礎石が置かれている。 |
三井寺(園城寺)は、天台寺門宗の総本山。 東大寺・興福寺・延暦寺とともに「本朝四箇大寺」の一つに数えられている。 |
赤山禅院は 比叡山の慈覚大師円仁の遺命で泰山府君を祀る寺院として建立された。 |
安倍晴明は、花山天皇・一条天皇・藤原道長の信任を得た陰陽師。 晴明神社は、一条天皇が晴明の偉業を讃えるために、晴明の屋敷跡に創建。 |
晴明は、1005年(寛弘2年)9月26日に85歳で没したといわれ、嵯峨に葬られたのだと伝えられている。 墓所では、命日には嵯峨墓所祭が斎行されている。 |
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