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清浄華院(しょうじょうけいん)は、860年(貞観2年)、清和天皇の勅により、天台座主(延暦寺貫主)・慈覚大師円仁が宮中に禁裏内道場として建立したことに始まる。 のちに後白河法皇から浄土宗開祖の法然に下賜され、浄土宗寺院となったのだと伝えられている。 後白河法皇の子・高倉天皇、その子・後鳥羽上皇は法然を戒師として受戒している。 このため、慈覚大師が創立開山、法然が改宗開山とされている。 ただ、清浄華院の存在が史料によって裏付けられるのは、鎌倉時代以降のこと。 元享年間(1321−1324)に三井寺や仁和寺で修行した向阿が三条坊内高倉に浄華院を開創したことに始まるという説がある。 1339年(暦応2年)に土御門室町に移転。 万里小路家の子弟が住持するようになり栄えたが、応仁の乱で衰退。 天正年間(1573−1592)に豊臣秀吉の京都都市計画により現在地へ移転。 1610年(慶長15年)には、金戒光明寺が独立したことで寺勢は著しく衰えたとされている。 幕末には、御所警備を担当した肥後熊本藩・会津藩・薩摩藩の宿所となり、会津藩主で京都守護職となった松平容保が過ごしている。 本尊は、法然上人御影。 増上寺(東京都港区)・光明寺(鎌倉市)・善光寺大本願(長野市)・金戒光明寺・ 知恩寺・善導寺(久留米市)とともに浄土宗七大本山の一つ。 |
清浄華院に伝わる『泣不動縁起』は重要文化財。 「三井寺の智興という僧が病気となり、安倍晴明の占いによって、弟子の証空が身代わりとなるが・・・ 証空が信仰していた不動明王が救ってくれた」 という物語。 |
安倍晴明の占いと師弟を救った三井寺の泣不動 |
法成寺は、藤原道長が土御門殿の東側に創建した寺院。 清浄華院には、法成寺境内推定地で出土した建物の礎石が置かれ、法成寺の遺物である可能性があるのだという。 |
法成寺は、摂関時代の最大の寺院として豪壮を極めた。 晩年の道長は、法成寺に住んで、阿弥陀堂で亡くなったのだという。 |
東北院は、藤原彰子(上東門院)の発願で法成寺東北の一郭に建立された常行三昧堂を始まりとする寺院。 浄土寺真如町に移転するまでは、本禅寺・清浄華院・蘆山寺辺りにあったものと考えられている。 |
誠心院は、紫式部の同僚女房だった和泉式部が初代住職となった寺。 道長から法成寺の塔頭東北院の一角に一庵を賜ったのが始まり。 |
京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町395 |
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