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誠心院(せいしんいん)は、平安時代の歌人で一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えた和泉式部が初代住職となった寺。 1025年(万寿2年)、娘の小式部内侍を失った和泉式部は、当時奈良にあった誓願寺で出家して専意法尼という戒名を授かった。 そして、1027年(万寿4年)、彰子の父藤原道長から法成寺の塔頭・東北院の一角に一庵を賜ったのだという。 それが誠心院の始まり。 鎌倉時代には、一条小川に移転してきた誓願寺の南に移転。 天正年間には豊臣秀吉の命で現在地に移された。 本堂には、本尊の阿弥陀如来坐像・和泉式部像・藤原道長像が安置されている。 真言宗泉涌寺派。 |
平安時代、女人は往生できないとされていたが、帰依していた誓願寺の阿弥陀如来のお告げを受けて「南無阿弥陀仏」を唱え、往生を成し遂げたのだという。 |
祇園祭先祭の舁山の一つ保昌山の御神体は、丹後守・平井保昌(道長四天王の一人)。 緋縅の鎧に太刀をつけ、紅梅を捧げる姿で、保昌と和泉式部の恋にまつわる伝説がテーマとなっている。 |
和泉式部に恋した平井保昌の伝説 |
貴船神社の結社に建てられている歌碑には、平井保昌との仲がうまくいかなくなって参詣したときに詠んだ歌が刻まれている。 |
誓願寺は、清少納言や和泉式部などの女性から信仰され「女人往生の寺」と呼ばれた。 |
法成寺は、藤原道長が土御門殿の東側に創建した寺院。 |
東北院は、藤原彰子(上東門院)の発願で法成寺東北の一郭に建立された寺。 境内の「軒端の梅」は和泉式部お手植えと伝えられている。 |
京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487 |
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