|
東北院(とうほくいん とうぼくいん)は、藤原道長の法成寺東北の一郭に藤原彰子(上東門院)の発願で建立された常行三昧堂を始まりとする。 法成寺の西北には、母の源倫子が建立した常行三昧堂があって「西北院」と呼ばれたことから、東北院と称されたのだという。 彰子は晩年をここで過ごしたため東北院とも呼ばれる。 1030年(長元3年)に完成。 彰子の孫の後冷泉天皇も行幸しているのだという。 1058年(天喜6年)、法成寺で発生した火災で全焼。 1061年(康平4年)に再建されている。 再建された地は法成寺の北側で、現在の本禅寺・清浄華院・蘆山寺辺りではないと考えられているらしい。 後冷泉天皇が新造の東北院にも行幸している。 1074年(延久6年)に彰子が崩御した後も摂関家から手厚い保護を受けた。 その後、何度かの焼失と再建が繰り返され、1692年(元禄5年)の焼失後は、真如堂・極楽寺・迎稱寺ともに現在地に移転。 この頃には、藤沢の清浄光寺末寺となり、天台宗から時宗に改宗されていたらしい。 本堂には、本尊の弁財天・藤原道長の衣冠束帯姿の像が安置されている。 勅額「東北院」は後西院の宸筆。 |
法成寺は、藤原道長が邸宅の土御門殿の東側に創建した寺院。 |
誠心院は、紫式部と同僚女房だった和泉式部(専意法尼)のため、東北院の一角に藤原道長が建立。 東北院境内の「軒端の梅」は和泉式部お手植えと伝えられている。 |
桓武天皇の勅により、平安京の表鬼門の守護神として最澄が彫ったものと伝えられる。 弁財天は水の女神。 東北院の雲井水は、弁財天のご加護によって湧き出したという名水。 旧地とされる蘆山寺にも雲井水の遺構が残されている。 |
蘆山寺は、和泉式部の同僚女房だった紫式部の邸跡に建てられた寺。 |
「東北院職人歌合絵巻」は、東北院の念仏会に集まった職人や庶民が、貴族階級の遊びをまねて歌合を行ったという設定でつくられたもの。 東北院の念仏会は、1174年(承安4年)から始められ、京都の風物詩となっていたのだという。 「東北院職人歌合絵巻」は、1214年(建保2年)の念仏会に集まった職人たちを描いたとされる。 |
東北院の西側は、一条天皇の第二皇子で藤原彰子が産んだ後一条天皇の陵墓。 |
京都市左京区浄土寺真如町83 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|