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藤原道長の生きた時代は物怪や鬼神が現れる世の中。 『大鏡』によると・・・ 985年(寛和元年)5月下旬の闇夜のこと。 花山天皇は、藤原兼家の三人の子道隆・道兼・道長に肝試しを吹きかけた。 そして、道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿、道長は大極殿へ行くことを命じた。 道隆と道兼は腰が引けて乗り気ではなかったが、道長は「どこへでも参りましょう」とやる気十分だったらしい。 結果は・・・ 道隆と道兼は、闇夜の怪奇な物音や巨大な人影に脅えて引き返してしまうが、 道長は大極殿に赴き、その証拠に高御座の柱を削り取って持ち帰ってきたのだとか。 |
藤原兼家 |
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面を踏む~才能あふれる公任と道隆・道兼・道長の三兄弟~ |
平安宮は、平安京の宮城。 内裏の周囲には、朝堂院・豊楽院や二官八省をはじめとした官庁が並び、 南辺には紫宸殿・仁寿殿・承香殿・清涼殿、 北辺には弘徽殿・飛香舎(藤壺)・淑景舎(桐壺)などの後宮が建ち並んでいた。 |
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