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宝珠院は、増上寺第三十世生誉霊玄が1685年(貞享2年)に創建した増上寺の塔頭。 山号は三縁山。 |
本尊の弁財天は秘仏。 園城寺(三井寺)を開いた智証大師が竹生島で彫ったもので、源氏に伝えられ、源頼朝は深く信仰して源氏再興を果たしたのだという。 徳川家康は、その像を増上寺に移して信仰し、名を徐波辨才天から開運出世大辨才天と改めたのだとか。 秘仏本尊は、家康の命日である4月17日を中日として開帳されている。 |
閻魔大王坐像は、宝珠院開創の頃の作と考えられている(港区指定文化財)。 江戸時代には、正月と7月の閻魔の斎日に、露店が建ち並び、見世物小屋が建てられて、賑わったのだという。 |
江戸時代には辯天池の中島に辯天堂があって、夏には紅白の蓮が咲く景勝地だった。 |
1051年(永承6年)、前九年の役に出陣する源頼義が戦勝を祈願。 頼義の三男・義光は新羅善神堂で元服した。 1159年(平治元年)の平治の乱で敗れた源義朝の子・義円は園城寺で出家。 1180年(治承4年)、源頼政とともに平家打倒の兵を挙げた後白河法皇の皇子・以仁王が一時難を逃れた寺でもあった。 鎌倉に武家政権を築いた源頼朝も園城寺を保護し、1182年(寿永元年)、円暁を鶴岡八幡宮の別当に任命。 頼朝亡き後の1214年(建保元年)、延暦寺に焼かれた園城寺の再建に尽力したのは北条政子だったのだという。 2代将軍源頼家の子・公暁が修行したのも園城寺だった。 |
宝珠院 東京都港区芝公園 4−8−55 増上寺 東京都港区芝公園4−7−35 |
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