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高尾阿弥陀堂は、源範頼の妻亀御前を供養するために建てられたと伝えられている。 範頼は、源頼朝の異母弟で源平合戦などで活躍したが、1193年(建久4年)、謀反の罪で伊豆修禅寺に幽閉され、間もなく梶原景時に攻められ自害した。 伝説によると、武蔵国横見郡(現在の吉見町)を領して吉見御所と呼ばれていた範頼は、石戸の領主だったという安達盛長の娘・亀御前を妻としていた。 しかし、範頼が伊豆修禅寺に幽閉されて自害すると、亀御前も荒川付近で自刃したのだという。 そのため、人々は供養のために石碑と泉蔵院(現在の高尾阿弥陀堂)を建立したのだと伝えられている。 |
修禅寺 |
源範頼の墓 |
1193年(建久4年)、範頼は修禅寺の信功院に幽閉された後、自害したのだと伝えられている。 近くには範頼の墓が建てられている。 のちの1203年(建仁3年)、範頼の甥にあたる二代将軍源頼家も修禅寺に幽閉され、翌年、暗殺されている。 |
安楽寺は、1159年(平治元年)の平治の乱後、範頼が隠れ住んだと伝えられる寺。 |
息障院は、範頼の館跡とされる地に建てられた寺。 平治の乱後、安楽寺に逃れたという範頼は、兄頼朝の乳母を務めた比企尼をはじめとする比企一族の庇護を受けていたのだ伝えられている。 |
石戸宿は、1193年(建久4年)に謀反の罪で伊豆修禅寺に幽閉された範頼が落ち延びた地と伝えら、東光寺の蒲ザクラは、範頼の持っていた杖が根付いたものと伝えられている。 |
石戸神社は、範頼が早世した娘亀御前の供養のために建てた堂を始まりとしているのだという。 高尾の伝説では亀御前は範頼の妻とされているが、石戸では娘となっている。 |
放光寺は、安達盛長の館跡と伝えられている地に建てられている寺。 |
埼玉県北本市高尾6−365 JR北本駅から衛生研究所・荒川荘行きバス「野外活動センター入口」下車徒歩15分 |
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