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石戸神社は、1199年(正治元年)に亡くなった源範頼の息女・亀御前の供養のために建てられた堂を始まりとしているという。 古くは白山神社と称され、範頼の住居跡とも伝えられている。 範頼は源頼朝の異母弟。 謀反の罪で伊豆修禅寺に幽閉されたが、逃れて石戸宿に隠れ住んでいたという伝説が残されている。 祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)。 本殿には、本地仏の十一面観音が祀られている。 |
修禅寺 |
源範頼の墓 |
1193年(建久4年)、範頼は修禅寺の信功院に幽閉された後、自害したのだと伝えられている。 近くには範頼の墓が建てられている。 のちの1203年(建仁3年)、範頼の甥にあたる二代将軍源頼家も修禅寺に幽閉され、翌年、暗殺されている。 |
安楽寺は、1159年(平治元年)の平治の乱後、範頼が隠れ住んだと伝えられる寺。 |
息障院は、範頼の館跡とされる地に建てられた寺。 平治の乱後、安楽寺に逃れたという範頼は、兄頼朝の乳母を務めた比企尼をはじめとする比企一族の庇護を受けていたのだ伝えられている。 |
石戸宿は、1193年(建久4年)に謀反の罪で伊豆修禅寺に幽閉された範頼が落ち延びた地と伝えら、東光寺の蒲ザクラは、範頼の持っていた杖が根付いたものと伝えられている。 |
高尾阿弥陀堂は、範頼の妻亀御前(安達盛長の娘)を供養するために建てられたと伝えられている。 高尾の伝説では亀御前は範頼の妻とされているが、石戸では娘となっている。 |
放光寺は、安達盛長の館跡と伝えられている地に建てられている寺。 |
埼玉県北本市石戸宿3−43 JR北本駅から北里研究所メディカルセンター病院行き・石戸蒲ザクラ入口行きバス |
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