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正覚寺の裏山にある住吉神社は、三浦氏の山城「住吉城」の鎮守として創建されたといわれている。 祀られていた「木造住吉神倚像」は、南北朝の初期に造立されたものと考えら、鶴岡八幡宮の白旗神社に移された後、現在は、鶴岡八幡宮の宝物殿に安置されている。 正覚寺から海前寺までの海沿いを通っていた切通(小坪切通)は、古東海道の道筋とも考えらているが、現在は廃道となっている。 |
底筒男命(そこつつのおのみこと) 中筒男命(なかつつのおのみこと) 表筒男命(うわつつのおのみこと) |
住吉神社の正面は海、そして江ノ島。 |
披露山公園からみた住吉城址。 |
住吉城は、自然の地形をうまく利用した山城で、1510年(永正7年)、北条早雲(小田原北条氏)が築城したものとされている。 その後、鎌倉御家人三浦氏の末裔となる三浦道寸(義同)がこの城を落とした。 1180年(治承4年)、石橋山の戦いに間に合わなかった三浦軍が、由比ヶ浜で畠山重忠軍と遭遇し合戦となった際に、三浦軍が拠った場所ともいわれている(参考:小坪合戦と衣笠合戦)。 |
住吉神社の右背後の隧道は、城内の抜け道で小坪まで続いている。 小坪側の出入口が塞がれているため通行することはできない。 |
住吉城を落とした道寸は、その護りは弟の道香に任せ、自分は岡崎城(伊勢原市)に入った。 |
しかし、早雲の反撃が開始され、岡崎城(伊勢原市)いた道寸も住吉城に退くが、住吉城も早雲に奪還され、道寸は三浦の新井城に敗走した(1512年(永正9年))。 弟の道香は、わずかな家臣らとともに住吉城で奮戦し、逗子の延命寺で自害したという。 |
住吉城址の近くにある海前寺の首塚には、三浦道寸と北条早雲の戦いの戦死者が葬られているという。 |
逗子の延命寺には、住吉城で奮戦し、自刃して最期を遂げたという道香主従七騎の墓がある。 |
1516年(永正13年)、三浦の新井城も早雲によって攻められ、三浦一族は滅亡した。新井城址には三浦道寸の墓が建てられている。 |
※ | 円覚寺塔頭寿徳庵にも三浦道寸一族の墓がある。 |
※ | 北条早雲が三浦道寸攻略のために築城したのが玉縄城。 |
住吉城址周辺には、合戦に使われたという「つぶて石」が残されている。 昔は、漬物石の土台などに使われていたというが、小坪の住人以外が使うと祟りがあるという。 |
和賀江島の守護神と考えられている石祠「住吉社」。 住吉の神は、古代より航海守護の神ととして崇められてきた。住吉神社との関わりは定かではない。 |
小坪路その2(海沿いの道) 海・・・小坪からの景色2012/05/13 北条早雲と鎌倉 |
逗子市小坪5丁目(正覚寺の上) 鎌倉駅東口から小坪経由逗子駅行バス 「飯島」下車徒歩5分 |
鎌倉の海 鎌倉:海の見える寺 |
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