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1225年(嘉禄元年)、三代執権北条泰時は、北条政子が亡くなると「大倉幕府」を宇津宮辻子に移した。 1236年(嘉禎2年)、四代将軍藤原頼経が若宮大路に幕府を移すまでの11年間は、ここが政治の中心となる。 現在は、幕府があったとみられる一角に宇都宮稲荷が祀られている。 |
※ | 若宮大路幕府は、宇津宮辻子幕府を拡張したものだという説もある。 |
「大倉幕府」は、1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉に入り、大倉の地に御所を構えて以来、頼朝、頼家、実朝の源氏三代と、頼朝の妻北条政子の時代までの約45年間、政治の中心であった。 |
※ | 大倉御所は、1219年(承久元年)に焼失。以後再建はされていない。 |
大倉幕府跡 |
若宮大路幕府跡 |
下野宇都宮氏の三代当主宇都宮朝綱が勧請した社で、朝綱の屋敷にあったのだという。 宇都宮氏は二荒山神社の神職を兼ねていた家で、宇津宮辻子の名は、宇都宮氏の居館があったことによる。 |
二荒山神社は下野国の一之宮。 奥州征伐に向かう源頼朝が戦勝を祈願した社。 |
源頼朝の新亭造営・・・大倉幕府 源頼朝の鎌倉幕府はいつ成立したのか・・・? 源頼朝が新亭に入る〜武家の都鎌倉の誕生〜 北条政子邸焼失・・・大倉御所(大倉幕府) 鎌倉の四角四境祭 北条泰時の政治・・・連署と評定衆の設置 |
鎌倉市小町2−15 鎌倉駅東口から徒歩4分 |
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