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大磯の高麗山(こまやま)の麓にある高来神社(たかくじんじゃ)は、神宮皇后が三韓征伐(新羅・百済・高句麗)の後に、神皇産霊尊(かみむすびのかみ)・高麗大神和光(高麗権現)を祀ったのが始まりという。 のちに瓊々杵尊(ににぎのみこと)・応神天皇・神功皇后が祀られている。 717年(養老元年)には、行基が高麗寺を創建。 千手観音を本地仏と定め、神仏習合の聖地となった。 高麗寺は、1192年(建久3年)、源頼朝が妻北条政子の御産加持を命じたという祈願所の一つ。 江戸時代には徳川家康によって東照大権現が勧請されている。 明治の神仏分離によって高麗寺が廃され高麗神社となり、安置されていた仏像は慶覚院に移された。 1897年(明治30年)には高来神社と改称。 |
神皇産霊尊(かみむすびのかみ) 瓊々杵尊(ににぎのみこと) 応神天皇 神功皇后 |
※ | 熱海の伊豆山神社の雷電社前に置かれている「光り石」と「道祖神」は、高麗山のものだという。 |
※ | 668年(天智7年)、新羅によって高句麗が滅ぼされると、高麗国の王族の若光は、大磯に渡来して大陸文化を伝えたという(参考:白髯神社(伊勢原市))。 |
男神像 |
女神像 |
『吾妻鏡』によれば、1192年(建久3年)5月8日、源頼朝が後白河法皇の四十九日法要を勝長寿院で行った際には、高麗寺の僧も3名参列している。 他は、鶴岡八幡宮20人、勝長寿院13人、伊豆山権現18人、箱根権現18人、大山寺3人、金目観音3人、六所神社3人、岩殿寺2人、杉本寺1人、窟不動1人、慈光寺10人、浅草寺3人、真慈悲寺3人、飯泉観音2人、国分寺3人。 |
大鳥居横の石碑は紀州徳川家の 十四代目徳川頼倫の麗筆。 |
神奈川県中郡大磯町高麗2-9-47 JR東海道線「大磯駅」から徒歩25分 |
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