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六所神社は、崇神天皇の時代に創建されたと伝えられ、当初は石神台にあったが、718年(養老2年)に現在地に移された。 相模国一之宮寒川神社、二之宮川勾神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥神社、平塚八幡宮の分霊と、主祭神の柳田大明神(櫛稲田姫命・須佐之男命・大己貴尊)をあわせて祀ることから相模国総社六所神社と称されるようになった。 源頼朝の崇敬は厚く、1180年(治承4年)の富士川の戦いでは戦勝祈願を行い、1192年(建久3年)には、妻北条政子の御産加持を命じている。 現在の本殿と石垣は、小田原北条氏によって造営されたもの。 |
『吾妻鏡』によれば、1180年(治承4年)10月16日、源頼朝は、平維盛の軍を迎え撃つため出陣し、六所宮に至ったという。 そのとき、相模国の早川庄を箱根権現に寄進することを決めている。 その後、富士川の戦いで勝利を収めた頼朝は、相模国府で論功行賞を行っている。 |
木造武装神形立像と木造女神形立像は平安時代後期の作で、神奈川県の文化財。 祭神の素戔嗚命と櫛稲田姫命と考えられている。 |
昔、相模国は、相武国と師長国とに分かれていたが、大化の改新以後は統合されて一つの国となった。 毎年5月5日の端午の節句に大磯町の神揃山で行われる「国府祭」(こうのまち)は、相武国の一之宮だった寒川神社と師長国の一之宮だった川勾神社がその座をめぐって争ったという故事にちなむもので、一之宮寒川神社、二之宮川勾神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥神社、平塚八幡宮と、相模国総社といわれた六所神社の神輿が一堂に集う。 |
『吾妻鏡』によれば、1192年(建久3年)5月8日、源頼朝が後白河法皇の四十九日法要を勝長寿院で行った際には、六所神社の僧も3名参列している。 他は、鶴岡八幡宮20人、勝長寿院13人、伊豆山権現18人、箱根権現18人、大山寺3人、金目観音3人、高麗寺3人、岩殿寺2人、杉本寺1人、窟不動1人、慈光寺10人、浅草寺3人、真慈悲寺3人、飯泉観音2人、国分寺3人。 |
六所神社の「湯津爪櫛御守」は、男性から女性に贈ると「かけがえのない大切な女性」の証だという。 |
神奈川県中郡大磯町国府本郷935 JR東海道線「大磯駅」からバス 国府新宿下車すぐ |
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