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古代(奈良・平安時代)、都から派遣された国司は、その国の有力な寺社を参り、その国の平和と繁栄を祈った。 相模国に派遣された国司は、相模国六社に参詣したという。 |
※ | 相模国の国府は、平塚市に置かれていたとも大磯町の国府本郷が置かれていたといわれているが特定されるに至ってはいない。 |
寒川神社 相模国一之宮 |
川勾神社 相模国二之宮 |
比々多神社 相模国三之宮 |
前鳥神社 相模国四之宮 |
平塚八幡宮 相模国 一国一社八幡宮 |
六所神社 相模国総社 |
毎年5月5日の相模国府祭(こうのまち)では、「神対面の儀」(しんたいめのぎ)が行われ、相模国六社の神々が年に一度の対面をし、一之宮より各神社の御分霊が総社に納められ、天下泰平・五穀豊穣が祈られる。 かつて、新たに赴任した国司は、まず、その国の有力寺社を巡拝していた。 しかし、それには多くの日数と費用、人員を要したことから、巡拝する神社の御分霊を国府近くの神社に合わせて祀る習わしが起こった。 それが総社のはじまり。 国司は総社に神拝するようになったのだという。 総社に御分霊を納めるために始まったのが「国府祭」といわれている。 各神社では、御幣「開運守公神」が授与される。 |
午前9時30分 | 総社御大祭 |
午前11時 | 神揃山祭 |
正午 | 古式座問答 |
午後 | 大矢場祭典 |
午後3時30分 | 神対面の儀 |
午後3時50分 | 国司奉幣の儀 裁許の儀 |
相模国は、大化の改新によって、相武の国と師長の国が合併して誕生した。 両国の一之宮だった寒川と川勾は、一之宮の地位を巡って争ったという。 見かねた比々多、前鳥、平塚八幡宮はそれを仲裁し、「いずれ明年まで」として先送り解決をしたという。 国府祭の「座問答」はその故事にちなむもの。 |
相模国六社は、源頼朝も厚く崇敬し、1192年(建久3年)には、妻北条政子の御産加持を命じ、神馬を奉納している。 |
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