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国清寺(こくせいじ・天長山国清萬年禅寺)は、1362年(康安2年)、鎌倉公方足利基氏の執事を務めた畠山国清が創建したといわれている。 1361年(康安元年)、関東執事を罷免された国清は、領国の伊豆へと逃れた。 伊豆で鎌倉公方に対抗したが、籠城した修禅寺城が落とされ、その後の消息は定かではない。 1368年(慶安元年)、律宗寺院であった国清寺は、関東管領上杉憲顕が修築し、鎌倉の円覚寺第三十六世の無礙妙謙が開山として迎えられたことで禅宗寺院になったと考えられている。 円覚寺塔頭の如意庵は、国清寺を前身としているといわれる。 盛時には、支院を78有していたといわれ、室町幕府三代将軍足利義満のときには関東十刹の一つに数えられた。 現在残されている支院は、「高岩院」、「徳隣院」、「龍泉院」、「松月院」の四つ。 円覚寺百観音巡礼の札所となっている。 本尊の観音菩薩は、平安時代末に伊豆に流されてきた文覚が籠居したという奈古屋寺の本尊だったと伝えられる。 |
鎌倉時代の慶派仏師によるものと考えられている釈迦如来坐像が安置され、徳川歴代将軍の位牌が祀られている。 |
韮山には「国清汁」という有名な汁がある。 鎌倉の建長寺の「建長汁」がもとになっているそうで、野菜の残りの頭や皮を大切にするため、油で炒めて作られた味噌仕立ての汁。 |
1453年(享徳3年)、鎌倉公方と関東管領との対立により起こった享徳の乱で、鎌倉公方の足利成氏が古河に逃れ「古河公方」と称したことで、将軍足利義政は異母兄の政知を鎌倉公方に据えようとするが、政知は鎌倉に入ることができず、伊豆に留まって国清寺を陣所とした。 しかし、1460年(長禄4年)、国清寺は足利成氏の焼き討ちに遭い、政知は堀越御所へ移っている。 |
毘沙門堂は、国清寺の鎮守。 源頼朝・北条政子・文覚ゆかりの堂。 |
静岡県伊豆の国市奈古谷1240−1 伊豆箱根鉄道駿豆線「原木駅」から徒歩約40分 |
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