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国清寺の守護神毘沙門天を祀る堂。 1173年(承安3年)4月29日、伊豆に流された怪僧文覚が草庵を結んだ場所とされている。 文覚は同じ頃伊豆に流されていた源頼朝に源氏再興の挙兵を勧め、願いのかなった頼朝は文覚に命じて毘沙門堂を建立させたのだといわれている。 安置されている毘沙門天は、比叡山延暦寺の第三代座主慈覚が彫ったものと伝えられ、本開帳は50年に一度。 安養浄土院あるいは奈古屋寺と称されていたが、頼朝が毘沙門堂を建立させるに当たって、瑞龍山授福寺と改めたのだという。 現在は、廃寺となり、仁王門と毘沙門堂のみが残されている。 |
国清寺の本尊観音菩薩は文覚が籠居した奈古屋寺の本尊だったのだという。 |
滝山不動奥の院 (伊豆の国市山木) |
高源寺 (函南町) |
毘沙門堂と文覚が隠れたという滝山不動(山木)の洞窟はつながっているのだという。 函南町の高源寺では、源頼朝と文覚が密談したのだという。 |
文覚は、もとは武士で遠藤盛遠(えんどうもりとお)といい、北面の武士として鳥羽上皇に仕えていた。 文覚は、同僚の源渡の妻袈裟御前に恋をし、誤って袈裟御前を殺してしまう。 その後、文覚は真言宗の僧となった。 神護寺再興の勧進で後白河法皇の怒りに遭い、伊豆に流されたといわれている。 |
文覚上人屋敷跡(鎌倉) 文覚上人荒行像(鎌倉:成就院) 源頼朝に挙兵を勧めた文覚(『平家物語』) |
仁王門の金剛力士像は、源頼朝の寄進で、運慶・湛慶父子の作とも、運慶が修理したとも伝えられ、静岡県の重要文化財に指定されている。 |
国清寺から毘沙門堂に至る道筋には、「七つ石」と呼ばれる巨石が点在している。 摩崖仏や梵字を刻んだもので、蛇石・夫婦石・弘法石・大日石・谷響石・護摩石・冠石。 |
蛭ヶ小島の流人だった源頼朝と北条政子は、源氏再興の挙兵を勧める文覚のもとを頻繁に訪ねたのだという。 その際、二人が腰をおろして一息入れたとされるのが夫婦石。 |
文覚が護摩を焚いたとも、硯として使用したとも伝えられている石。 |
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