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天平の創建時の東大寺の南大門は、962年(応和2年)の大風で倒壊。 現在の南大門は、平重衡によって焼かれてしまった東大寺を復興した重源が、その総供養に際して再建されたもの。 1199年(正治元年)に上棟し、1203年(建仁3年)に安置された仁王像(金剛力士像)とともに竣工した我が国最大の山門。 「大仏様」(だいぶつよう)または「天竺様」(てんじくよう)とも呼ばれる建築様式が採用されている国宝建築物。 |
南大門は、入母屋造、五間三戸二重門で、下層には天井がなく腰屋根構造となっている。 屋根裏まで達する貫と呼ばれる大円柱は18本あり、21mにも及ぶもので、門の高さは基壇上25.46mもある。 |
※ | 参考までに、京都の知恩院の三門は、現存するわが国最大の二重門といわれる。 |
南大門に採用されている「大仏様」は、平重衡の南都焼討で焼かれた東大寺を復興する際、重源が宋から伝えた建築様式。 鎌倉の円覚寺にある舎利殿の「禅宗様」とともに中世を代表する建築様式。 |
南大門には、左に阿形像、右に吽形像が向かい合う形で安置されている。 この安置方法は、通常の配置とは逆のもの。 |
阿形像 |
吽形像 |
※ | 信濃善光寺の仁王門に置かれている仁王像も左右逆。 |
1988年(昭和63年)から5年間にわたって行われた金剛力士像の解体修理では、天平創建時から向かい合って安置されていたことや、山口県で伐採された木材が使用され、1203年(建仁3年)7月24日から10月3日までの70日間で像造されたことが判明した。 また、阿形像は大仏師運慶と快慶が小仏師13人を率いて造立し、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人を率いて造立したものであることも判明している。 |
南大門には「大華厳寺」という額が掲げられていたという古い記録に基づいて、2006年(平成18年)10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて掲げられたもの。 |
南大門の金剛力士像の背面には、石獅子が置かれている。 『東大寺造立供養記』は、 「建久7年(1196年)、中門石獅子、堂内石脇士、同四天王像を宋人・字六郎など4人が造った。 石材は宋より買い求めて運ばれた」 と伝えている。 南大門の石獅子は中門にあったもので、このとき造られた石像で残されているのは、この像のみ。 一説には大仏鋳造と大仏殿再建に尽力した陳和卿の作ともいわれる。 京都の清水寺の仁王門前に置かれている狛犬は、この狛獅子を真似て造られたものといわれている。 |
南都焼討と東大寺の再興〜重源と源頼朝〜 |
東大寺は、聖武天皇が建立した寺。全国に設置された国分寺の総本山として信仰された。 本尊は奈良の大仏として知られる「銅造盧舎那仏坐像」。 |
奈良県奈良市雑司町406−1 JR大和路線・近鉄奈良線「奈良駅」から市内循環バス「大仏殿春日大社前」下車徒歩5分 近鉄奈良駅から徒歩約20分 |
東大寺は世界文化遺産 (古都奈良の文化財) |
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