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清水寺の入口は重要文化財の仁王門。 応仁の乱によって焼失しているが、15世紀末には再建された。 室町時代の特徴をよく示した楼門で、丹塗りのため「赤門」とも呼ばれている。 平安時代には、清水詣が盛んに行われ、紫式部などの女流文学者も参詣。 牛車で参詣した女性は馬駐に馬を繋ぎ、馬縮に車を付けて衣装を整え、仁王門の石段を上ったのだという。 |
清水詣・石山詣・初瀬詣〜平安貴族が信仰した清水寺・石山寺・長谷寺〜 |
正面に掲げられている「清水寺」の額は、藤原行成の筆と伝えられている。 行成は藤原道長に仕え、一条朝の四納言の一人に数えられた公卿。 書道世尊寺流の祖。 |
清水詣・石山詣・初瀬詣〜平安貴族が信仰した清水寺・石山寺・長谷寺〜 |
門の両脇には、鎌倉時代末期の金剛力士(仁王)像を安置。 像高365pで、京都では最大級の仁王像。 |
この仁王門は、清水寺の舞台から御所が見えないようにするために建てられたのだとか・・・。 |
仁王門前の石造の狛犬は、両方ともに阿形の像。 東大寺南大門の狛獅子を真似て造られたといわれ、もとは金属製だったが戦時中に供出されてしまったのだという。 鎮守社だった地主神社のものともいわれる。 |
かつて、仁王門前には子安塔が建っていた。 |
清水の舞台で知られる清水寺。西国観音霊場の第十六番札所。 源頼朝は、三歳のときに清水寺から下された二寸銀の聖観音像を守り本尊とし、1180年(治承4年)の挙兵の際には、髷の中に納めていたという(参考:鎌倉・源頼朝墓)。 |
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