|
清水寺の子安塔(こやすのとう)は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝えられているが、その創建時期は不明。 現在の建物は、1500年(明応9年)の再建で高さ約15メートルの三重塔(重文)。 明治期までは仁王門の左手前にあったが、1911年(明治44年)に現在地に移された。 堂内には子安観音(千手観音)が安置され、安産の神として信仰を集めてきた。 産寧坂(三年坂)は、子安観音へ祈願するための参道であったという。 |
子安塔址碑 (仁王門前) |
三年坂(産寧坂) |
常盤御前は源義朝の側室。 今若(阿野全成)、乙若(源義円)、牛若(源義経)の母。 1159年(平治元年)、源義朝が「平治の乱」で平清盛に敗れると、三人の子を連れて幼少の頃より信仰していた清水寺に参り、千手観音に三人の子の無事を祈願した。 その後、大和国へ逃れていったという。 常盤が祈願したのは、子安塔に安置されている千手観音だと伝えられ、『平治物語』(学習院本)には、常盤と三人の子が助けられたのは清水観音の力によるもので、源頼朝が死罪を免れて伊豆蛭ヶ小島に流罪となったのは八幡大菩薩(石清水八幡宮)の力によるものだと述べられている。 |
子安塔からは、西門、三重塔、経堂、開山堂、轟門、朝倉堂、回廊、本堂までがずらりと並ぶ見事な景観が楽しめる。 |
子安塔から清閑寺までの山路は「歌の中山」と呼ばれ、幕末には成就院の月照と西郷隆盛の密談が清閑寺の茶室行われたという。 |
清水の舞台で知られる清水寺。西国観音霊場の第十六番札所。 源頼朝は、三歳のときに清水寺から下された二寸銀の聖観音像を守り本尊とし、1180年(治承4年)の挙兵の際には、髷の中に納めていたという(参考:鎌倉・源頼朝墓)。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|