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清水の三年坂は、798年(延暦17年)に坂上田村麻呂が清水寺が創建してから間のない808年(大同3年)に開かれた道。 そのため「三年坂」という名がついたという。 伝説では、この坂の石段で転ぶと3年以内に死ぬといわれてきた。 ただ、瓢箪を持っていれば「転んでも死なない」という言い伝えが生まれ、坂の下には瓢箪を売る店ができたのだとか・・・。 江戸時代後期には、70歳くらいの老人が坂で転び、助け起こした人が「あなたは3年以内に死にますよ」と伝えると、その老人は「ありがたい。明日をもしれぬ命だったのに、2年間は安心できる」といって笑ったのだという。 |
三年坂は清水寺の参道「清水坂」から石段を降りる道。 その名の由来には諸説あって、別名を「産寧坂」と呼ぶのは、お産のため清水寺の子安観音へ祈願するための参道であったからだという。 また、清水寺で祈願した者が願いが叶った後、再度参拝するための参道で「再念坂」と呼ばれる道であったともいう。 |
※ | 中世までの清水寺の参道は、八坂の塔(法観寺)を経て三年坂を上る道だった。 |
八坂の塔 |
子安塔 |
石段の途中にある明保野亭は、坂本龍馬が密談したという料亭。 |
清水の舞台で知られる清水寺。西国観音霊場の第十六番札所。 源頼朝は、三歳のときに清水寺から下された二寸銀の聖観音像を守り本尊とし、1180年(治承4年)の挙兵の際には、髷の中に納めていたという(参考:鎌倉・源頼朝墓)。 |
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