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清盛塚は、1286年(弘安9年)に建立された平清盛の供養塔。 長らく清盛の墳墓とされてきたが、1923年(大正12年)の調査で墳墓ではないことが判明したのだという。 鎌倉幕府九代執権の北条貞時が清盛の供養のために建立したという伝説も。 |
平安時代の末期、清盛は兵庫の大輪田泊(おおわだのとまり)で宋との貿易を行い、港を見下ろす兵庫の北部平野の地に御所を構えて平家の本拠地とした。 1180年(治承4年)6月には、一時都を兵庫に遷し(福原京)、安徳天皇・後白河法皇・高倉上皇が福原に遷幸したが、11月には還都している。 翌年、病に倒れた清盛は閏2月4日死去(享年64歳)。 平清盛の死 |
清盛塚の隣の琵琶塚は、琵琶の達人であった平経正の塚として伝えられてきたもの。 |
真光寺には、清盛が安芸の厳島神社を勧請した弁財天が祀られていたのだという。 境内には、清盛に茶を献上する際に使われたという井戸が残されている。 |
『平家物語』によると、清盛は愛宕山(京都)で火葬され、遺骨は円実法眼によって摂津国に運ばれ、大輪田泊に築かれた経の島に納められたのだという。 |
平安時代後期、六波羅蜜寺周辺には六波羅館が置かれ清盛の泉殿を中心に一族の邸宅が建ち並んでいた。 |
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