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能福寺(のうふくじ)は、805年(延暦24年)に最澄が創建したと伝えられる天台宗の寺院。 本尊は阿弥陀如来。 1180年(治承4年)、平清盛が福原に遷都すると、平家一門の祈願寺となった。 平家滅亡後の1186年(文治2年)、平教盛の子・忠快法印が中興して繁栄し、「福原寺」と呼ばれ、八棟の巨大な伽藍を有していたことから「八棟寺」とも称されたのだという。 1341年(興国2年/暦応4年)に焼失したが、1599年(慶長3年)に長盛法印が再興。 |
※ | 平教盛は清盛の異母弟。 |
1181年(治承5年)閏2月4日、平清盛が亡くなると能福寺寺領内に平相国廟が建立されたのだと伝えられている。 境内の廟所は1980年(昭和55年)に復興されたもの。 中央の十三重塔が清盛。 右の宝篋印塔は清盛の出家の師・円実法眼。 左は九重塔は能福寺を中興した忠快法印。 『平家物語』によると、清盛は愛宕山(京都)で火葬され、遺骨は円実法眼によって摂津国に運ばれ、大輪田泊に築かれた経の島に納められたのだという。 |
最初の大仏は、1891年(明治24年)に豪商・南条荘兵衛の寄進により建立されたが、1944年(昭和19年)の金属類回収令で解体されてしまう。 現在の大仏は、戦後、解体された大仏の金属片を混入したもので、1991年(平成3年)に再建された毘廬舎那仏像。 開眼法要には、奈良の東大寺管長、鎌倉の高徳院貫主が臨席し、日本三大仏として公認したのだという。 |
東大寺の大仏 |
鎌倉大仏 |
平安時代後期、六波羅蜜寺周辺には六波羅館が置かれ清盛の泉殿を中心に一族の邸宅が建ち並んでいた。 |
兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1−39 |
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