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上総介広常は、源頼朝が石橋山の戦いで敗れ、安房(源頼朝上陸地)に渡り体勢を整えて鎌倉入りするときに従った武将。 しかし、1183年(寿永2年)12月、頼朝に対する傲慢な態度が災いし、謀反の疑いをかけられ梶原景時に暗殺された。 横浜市金沢区の朝比奈のバス通りにある五輪塔(「上総介塔」)は、上総介広常の墓ともいわれている。 |
朝夷奈切通の梶原太刀洗水は、上総広常を暗殺した梶原景時が太刀の血を洗い流したという水。 広常の屋敷は朝夷奈切通付近の「屋敷田」という所にあったのだという。 |
玉前神社は上総国の一之宮。 広常は「頼朝の祈願成就と東国泰平のため」の願文を奉納していたのだという。 |
頼朝の鎌倉入り 2万騎で参陣した上総広常 新亭完成・鎌倉殿と武家の都の誕生 東国の主君「鎌倉殿」 上総広常の暗殺 |
源頼朝と上総介広常 暗殺された上総介広常 源頼朝のための願文・・・上総介広常 |
鎌倉七口の一つ朝夷奈切通は、鎌倉と金沢(六浦)を結ぶ切通。 三代執権北条泰時によって開かれたこの道は「塩の道」と呼ばれた。 |
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