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ここにのみ めづらしと見る 雪の山 所どころに ふりにけるかな |
「ここだけに作られていたと思っていた雪山、所々に作られていて珍しいものではなかった・・・」 『枕草子』~雪山の段~(「職の御曹司におはします頃」)にある清少納言の歌。 雪がとても降った12月10日頃、中宮藤原定子の命で雪山作りが行われた。 「雪山を作った者には三日の休みを与える。 参上しなかった者は三日の休みを取り上げる」 というお触れもあったので慌てて参上する者もいて、とても高い雪山が完成。 「この雪の山は、いつまであるのだろう?」 と定子が言うと、女房たちは 「十日はあるでしょう」 「十日以上はあるでしょう」 などと、思いつくままに答える。 清少納言にも尋ねると、 「正月の十何日かまではあるでしょう」 と答えたが、定子は「そんなに長くは残っていないだろう」と思っていたらしい。 女房たちも 「年内しか持たない。月末にはなくなる」 と言うので、清少納言も「正月の一日まで」と答えるべきだったと思ったが、その意見には反対したのだとか。 この雪山を作った日、内裏から一条天皇の使いで源忠隆が参上していたが、清少納言は清涼殿、春宮、弘徽殿、京極殿でも雪山が作られたことを聞かされる。 「ここだけに・・・」の歌は、そのときに詠んだもの。 ただ、忠隆からの返歌は「あなたの歌を汚す」という理由でなかったのだという。 定子は清少納言に 「あなたの歌に合う素晴らしい歌を返さなければならないと思ったからでしょう」 と言ったのだとか。 雪の山は、12月31日の頃になると少し小さくなったが、まだ高く残っていたらしい。 |
『枕草子』~雪のいと高う降りたるを・香炉峰雪簾撥看~ |
紫式部の『源氏物語』~朝顔の巻~では、光源氏が藤壺中宮の御前で雪山作りをしたことを思い起こしている。 |
雪山作りと源氏物語と枕草子~紫式部と清少納言が見た雪景色~ |
平安宮 (大内裏) |
内裏跡 |
平安時代の内裏(御所)は、京都御所の西方にあった。 平安宮は、平安京の宮城。 内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。 弘徽殿・承香殿などの后妃の住まう殿舎もあり、定子が居所としたのは登華殿だったといわれる。 |
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