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心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな |
「心ならずもつらい現世で生き長らえているならば、さぞかしここで眺めた夜更けの月が恋しく思いだされることであろう」 1016年(長和5年)、敦成親王(後一条天皇)に譲位した三条天皇が退位直前に詠んだ歌。 三条天皇は1011年(寛弘8年)に即位するが、絶大な権力を誇っていた藤原道長と対立。 眼病を患ったことで道長から退位を迫られた三条天皇は、敦成親王(後一条天皇)に譲位。 この歌は、道長との権力闘争に疲れ果てて退位を決意した時に明るく輝く月を見て詠んだ歌で、『百人一首』に収められている。 |
三条天皇は夜半の月の歌を詠んだ翌年、42歳で崩御。 第一皇子の敦明親王は、東宮(皇太子)に立てられていたが、道長に圧力をかけられ、三条天皇の崩御後に皇太子を辞退している。 |
皇后宮娍子の立后と中宮妍子の参内~三条天皇と藤原道長の対立~ 紫式部の没年と源氏物語~准太上天皇となった光源氏と敦明親王~ |
道長が三条天皇に退位を迫ったのは、眼病が理由ではなく、先帝の一条天皇と自分の長女彰子との間に生まれた敦成親王を即位させたかったから。 敦成親王が即死して後一条天皇が誕生すると、道長は摂政として権力を奮い、1018年(寛仁2年)に我が世の絶頂を歌にしている。 その歌が「望月の歌」。 |
関白にならなかった藤原道長~内覧と摂政と関白~ |
『百人一首』の一番歌は天智天皇の 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」 近江神宮は天智天皇を祀ることから「かるたの聖地」と呼ばれている。 |
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