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源俊賢(みなもとのとしかた)は、左大臣・源高明の三男。 母は右大臣・藤原師輔の娘。 960年(天徳4年)誕生。 一条天皇の時代に秀才として知られた四納言の一人。 |
醍醐天皇 |
源高明 |
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969年(安和2年)、父高明が安和の変で大宰府に左遷されると、10、11歳だった俊賢も大宰府に下ったが・・・ 京都に戻ると、父を失脚させた藤原氏に仕える。 安和の変で藤原氏の勢いを身にしみて感じたからなのだとか。 そして、藤原兼家・藤原道隆のもとで出世。 995年(正暦6年)、道隆が死去し、道隆の子伊周が藤原道長との政争に敗れ・・・ 翌年の長徳の変で伊周が左遷された後も中関白家(道隆一族)との繫がりを保ち続けた。 その一方で、妹の明子が道長の妻となっていたことから、道長にも協力し、政治資金の調達などの役割を担った。 賢人右府と呼ばれた藤原実資は、その癒着ぶりを「貪欲謀略其聞共高之人也」と非難していたのだとか。 藤原氏全盛の中で源氏ながら権大納言まで昇進した俊賢は、1019年(寛仁3年)に官職を退き、権大納言を辞任。 1027年(万寿4年)6月13日薨去(69歳)。 この年の12月4日、仕えてきた藤原道長も薨去している。 |
藤原師輔 (俊賢の母の父) |
藤原兼家 |
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一条天皇の時代に活躍した源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成は、「一条朝の四納言」と呼ばれた。 |
高松神明神社は、父の源高明が造営した高松殿の鎮守。 藤原道長と結婚した妹の明子は、高松殿に住んで「高松殿」と呼ばれている。 |
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