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高松神明神社は、源高明が高松殿の鎮守として伊勢神宮の天照大神を勧請したことに始まる。 源高明は醍醐天皇の第十皇子。 高松殿は、920年(延喜20年)に源姓を賜った高明が造営した御殿。 藤原道長と結婚した高明の娘明子は、ここに住んで高松殿と呼ばれている。 三条天皇の皇子小一条院(敦明親王)の御所ともなり、道長の娘で敦明親王の妃となった寛子は、高松殿女御と呼ばれた。 その後、焼亡したが、1146年(久安2年)、鳥羽上皇の命により新造。 1155年(久寿2年)には、後白河天皇が高倉殿で即位し、御所(里内裏)として使用。 翌年の保元の乱では、一時後白河天皇方の本拠地となり、源義朝や平清盛が参集したのだという。 1159年(平治元年)の平治の乱で焼失し、鎮守社の高松神明神社のみが残された。 |
天照大神 八幡大神 春日大神 |
真田幸村ゆかりの九度山から譲り受けたという地蔵尊。 「幸村の知恵の地蔵尊」と呼ばれ、地蔵堂の台石をさすり、子の頭をなでると知恵を授かると信仰されている。 |
堀河院(堀河殿)は、左大臣・藤原顕光が伝領した邸宅。 顕光の次女で三条天皇の第一皇子・敦明親王の妃となった藤原延子は、堀河殿で敦明親王とともに暮らしていたが・・・ 敦明親王が藤原道長の三女・寛子に奪われて高松殿に移ってしまったことで、悲嘆のあまりに病に伏して亡くなった。 その後、寛子・嬉子・妍子が続けて死去するが・・・ 延子と顕光の怨霊が現れたとも伝えられる。 |
藤原顕光と藤原延子の怨霊に祟られた藤原道長の娘たち |
京都市中京区姉小路通釜座東入津軽町790 地下鉄烏丸線烏丸御池から徒歩5分 |
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