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~枕草子~ |
清少納言は『枕草子』にこう書いている。 藤の花は しなひ長く 色濃く咲きたる いとめでたし (藤の花は、花房が長く、色濃く咲くのが、たいそう素晴らしい) 色あひよく 花房長くさきたる藤の花 松にかかりたる (色合いが深く、花房が長く咲いている藤の花が松の木にかかっている景色は素晴らしい) 平安時代には、藤花の宴(とうかのえん)が催され、庭園の松の木に藤を絡ませて愉しんでいたらしい。 |
光る君へ 越前 大河ドラマ館のパネルより。 |
~源氏物語~ |
紫式部の『源氏物語』~藤裏葉の巻~では、内大臣が自邸での藤花宴に夕霧を誘っている。 わが宿の 藤の色濃き たそかれに 尋ねやは来ぬ 春の名残を (内大臣) (わが邸の藤の花の色が濃く見える黄昏に、春の名残を尋ねておいでになりませんか) なかなかに 折りやまどはむ 藤の花 たそかれどきの たどたどしくは (夕霧) (黄昏のはっきりしないところでは、かえって藤の花を折るのにまごつくのではないでしょうか) 恐縮しながら返事をした夕霧は、藤花宴の席で雲居雁との結婚を許されることに。 春日さす 藤の裏葉の うらとけて 君し思はば 我も頼まむ この歌は「後撰集」の古歌。 内大臣はこの歌を詠じて、雲居雁との結婚を許すことを伝え、柏木が藤の花の房を折って夕霧の盃に添えると・・・ 紫に かごとはかけむ 藤のはな まつよりすぎて うれたけれども (内大臣) (藤の花の紫にことよせて免じましょう・・・) いくかへり 露けき春を すぐしきて 花のひもとく をりにあふらむ (幾度も涙に濡れる春を過ごしてきたことでしょう・・・) |
藤花の宴は、902年(延喜2年)3月20日、平安宮の飛香舎(ひぎょうしゃ)で催されたという記録が最初。 飛香舎は、内裏の後宮七殿五舎の一つで、庭に藤の樹が植えてあったことから「藤壺」とも呼ばれていた。 |
葵祭(賀茂祭)の牛車(御所車)には、薄紫色の藤が飾られる。 葵祭は、清少納言や紫式部も見た賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の例祭。 |
新五千円札の顔は、津田塾大学を創設した津田梅子。 裏面は「藤の花」。 |
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