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本興寺は、1489年(延穂元年)に開かれたという法華宗の寺院。 境内は、越前国府の中核施設が眠る有力候補地と推定されている。 |
紫式部は越前守に叙任された父の藤原為時に同行して越前国へ下向。 帰京するときに国府に白梅を植え、娘の大弐三位(賢子)は、母の死後に紅梅を植えたのだとか・・・ 現在の紅梅は4代目なのだという。 |
越前国分寺に隣接する総社大神宮の境内には「越前国府の碑」が建てられているが、越前国府があった具体的な場所は不明。 国府周辺には、総社とともに、大和国の東大寺と法華寺を総本山とする国分寺・国分尼寺が設置された。 御霊神社も越前国府と関わりの深い神社だったらしい。 |
2023年(令和5年)から越前国府の正確な位置を解明するため5か年計画の発掘調査が始められた。 有力候補地とされる本興寺境内では、平安期の溝と柱穴、中世の土坑が見つかっている。 |
996年(長徳2年)、紫式部は越前守に叙任された父の藤原為時に同行して越前国へ下向。 紫式部公園は、紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された公園で、平安朝式庭園が再現されている。 |
紫式部公園には、十二単衣をまとった金色の紫式部像が置かれている。 |
『源氏物語』の宇治十帖・浮舟の巻には、 「武生の国府に移ろひたまふとも、忍びては参り来なむを・・・」 とある。 宇治から帰京する浮舟の母が、 「たとえあなたが、遠い武生の国府のような所へ行ってしまったとしても、こっそりとお伺いしましょう・・・」 と浮舟を慰めている場面。 手習の巻では、 浮舟を救った比叡山の横川の僧都の母・大尼君が 「たけふ、ちちりちちり、たりたむな」 と口ずさんでいる。 |
福井県越前市国府1-4-13 JR武生駅から徒歩10分 |
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