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国分寺は、741年(天平13年)、聖武天皇の国分寺と国分尼寺建立の詔により、日本各地に建立された国家鎮護のための寺院。 地方政治の拠点だった国府周辺に置かれた。 越前国分寺の創建地は不明だが、大国の国分寺だったことから全国屈指の規模だったらしい。 |
大和国の東大寺と法華寺は、それぞれ総国分寺・総国分尼寺とされ、全国の国分寺・国分尼寺の総本山と位置づけられていた。 現在の越前市の国分寺は延暦寺の末寺。 本尊は行基作といわれている薬師如来座像。 |
越前国分寺に隣接する総社大神宮の境内には「越前国府の碑」が建てられているが、越前国府があった具体的な場所は不明。 ただ、紫式部の『源氏物語』には「武生の国府」とあることから、武生にあったことは確かなこと。 |
本興寺 |
御霊神社 |
本興寺には「紫式部ゆかりの紅梅」があって、その境内は越前国府の中核施設が眠る有力候補地と推定されている。 御霊神社も越前国府と関係の深い社なのだとか。 |
996年(長徳2年)、紫式部は越前守に叙任された父の藤原為時に同行して越前国へ下向。 紫式部公園は、紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された公園で、平安朝式庭園が再現されている。 |
紫式部公園には、十二単衣をまとった金色の紫式部像が置かれている。 |
『源氏物語』の宇治十帖・浮舟の巻には、 「武生の国府に移ろひたまふとも、忍びては参り来なむを・・・」 とある。 宇治から帰京する浮舟の母が、 「たとえあなたが、遠い武生の国府のような所へ行ってしまったとしても、こっそりとお伺いしましょう・・・」 と浮舟を慰めている場面。 手習の巻では、 浮舟を救った比叡山の横川の僧都の母・大尼君が 「たけふ、ちちりちちり、たりたむな」 と口ずさんでいる。 |
福井県越前市京町1-6-2 JR武生駅から徒歩5分 |
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