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総社は、その地域内の神社の祭神を集めて祀った(合祀した)神社のこと。 律令制のもとで中央から派遣された国司は、着任後、国内の神社を参拝することが最初の仕事だった。 しかし、平安時代になると国府にある総社を参拝することで巡拝を省くようになったのだという。 |
996年(長徳2年)、紫式部は越前守に叙任された父の藤原為時に同行して越前国へ下向。 父とともに総社を参拝したのだろうか・・・ 総社大神宮の境内には「越前国府の碑」が建てられているが、越前国府があった具体的な場所は不明。 ただ、『源氏物語』には「武生の国府」とあることから、武生にあったことは確かなこと。 |
総社大神宮の隣接地には国分寺がある。 国府周辺には、総社のほか、大和国の東大寺と法華寺を総本山とする国分寺・国分尼寺も設置された。 |
御霊神社は、総社大神宮の御旅所だったといわれ、越前国府と関係の深い社なのだという。 |
本興寺には「紫式部ゆかりの紅梅」があって、その境内は越前国府の中核施設が眠る有力候補地と推定されている。 |
996年(長徳2年)、紫式部は越前守に叙任された父の藤原為時に同行して越前国へ下向。 紫式部公園は、紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された公園で、平安朝式庭園が再現されている。 |
紫式部公園には、十二単衣をまとった金色の紫式部像が置かれている。 |
『源氏物語』の宇治十帖・浮舟の巻には、 「武生の国府に移ろひたまふとも、忍びては参り来なむを・・・」 とある。 宇治から帰京する浮舟の母が、 「たとえあなたが、遠い武生の国府のような所へ行ってしまったとしても、こっそりとお伺いしましょう・・・」 と浮舟を慰めている場面。 手習の巻では、 浮舟を救った比叡山の横川の僧都の母・大尼君が 「たけふ、ちちりちちり、たりたむな」 と口ずさんでいる。 |
福井県越前市京町1-4-35 JR武生駅から徒歩5分 |
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