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佐藤継信は、奥州藤原氏の家臣・佐藤基治の子。 奥州平泉にいた源義経に仕え、1180年(治承4年)、義経が鎌倉の兄頼朝のもとへ赴く際、藤原秀衡の命により、弟忠信とともに随行した。 1185年(元暦2年)2月19日、屋島の戦いで討死。 『平家物語』によれば、平教経が義経を狙って放った矢を身代わりとなって受けたのだという。 『吾妻鏡』には、悲しんだ義経が僧に頼んで千株松の根元に葬り、名馬「大夫黒」を布施として与えたことが記録されている。 |
平教盛の次男、平清盛の甥。 強弓の使い手で平家一の猛将と伝えられ、屋島の戦いや壇ノ浦の戦いで奮戦したと伝わるが、『吾妻鏡』の記録では、1184年(寿永3年)2月7日、一の谷の戦いで捕えられ、翌日、梟首されている。 |
佐藤継信の碑 |
洲崎寺 |
菊王丸の墓 |
大夫黒の墓 |
信濃善光寺の石造宝篋印塔は、佐藤兄弟の母梅唇尼(ばいしんに)が善光寺に参詣して建立したものと伝えられている。 |
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