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東光禅寺(とうこうぜんじ)は、臨済宗建長寺派の寺院。 建仁年間(1201−1204年)に畠山重忠が創建したと伝えられている。 もとは、鎌倉の薬師ヶ谷にあって医王山東光寺と称され、1282年(弘安5年)に建長寺第六世・円覚寺第五世の大興禅師(葦航道然)を招いて開山とした。 応仁年間(1467−1469年)、現在地に移転し白山東光禅寺と改められたのだという。 本尊の薬師如来像は重忠の念持仏とされる。 |
東光禅寺のある武蔵国釜利谷郷に隣接する金沢郷は、畠山重忠の所領だったのだ伝えられている。 1205年(元久2年)、重忠が北条時政の謀略により武蔵国二俣川で討死すると北条義時の所領となり、孫の実時の居館に営まれた持仏堂が称名寺の前身となった。 釜利谷郷も重忠の所領だったと考えられ、『新編武蔵風土記稿』によると、重忠は二俣川で最期を遂げたのではなく、東光禅寺の西方の山中で自害したのだという。 朝比奈切通が掘削されるまでは、釜利谷を通る白山道が鎌倉と金沢とを結ぶ要衝の交通路だった。 |
東光禅寺近くの六郎ケ谷には、重忠の子重保の墓と伝わる五輪塔が建てられている。 |
医王山東光寺は、現在の鎌倉宮付近にあったとされている。 1334年(建武元年)には、足利尊氏と対立して鎌倉に流された護良親王が幽閉され、翌年尊氏の弟の直義によって暗殺された。 |
医王山東光寺の創建・場所については諸説あるが、東光禅寺の寺伝では、鎌倉宮に残されている土牢の前にあったのだという。 |
鎌倉の大町にある辻の薬師堂は、名越にあった長善寺の薬師堂と伝えられている。 長善寺は奈良時代の創建で、廃寺となった医王山東光寺(廃寺の時期は不明)の薬師堂が移されたのだという。 のちに長善寺は大町に移転し、現在は薬師堂だけが残されている。 |
鎌倉の辻の薬師堂の戌神像は、大倉薬師堂の戌神像(運慶作)の模刻と考えられている。 |
横浜市金沢区釜利谷南2−40−8 京急「金沢文庫駅」から徒歩25分 |
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