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護良親王は鎌倉宮の祭神。 倒幕に貢献したが足利尊氏と対立し、1334年(建武元年)11月15日、鎌倉に流され、鎌倉宮の社殿裏にある土牢に約9ヶ月間に亘って幽閉されていたとのだいう。 1335年(建武2年)、北条時行が反乱(中先代の乱)を起こすと、7月23日、尊氏の弟直義によって殺害された。 長期間の幽閉による弱った体では、何の抵抗もできなかったのだという。 |
※ | 護良親王が実際に幽閉されたのは、このような岩窟ではなく、土蔵造りの牢屋だったと考えられている。 |
構廟(御首塚) |
護良親王墓 |
鎌倉宮の御首塚は護良親王の首が捨てられていたという場所。 捨てられた首は理智光寺の住僧によって葬られたのだと伝えられている。 |
鎌倉宮例大祭は8月20日。 護良親王が殺害された7月23日を現在の暦にすると8月20日になるらしい。 |
鎌倉宮は、鎌倉に幽閉され悲運の最期を遂げた後醍醐天皇の皇子護良親王を祀るため、明治天皇が自ら創建した神社。 大塔宮(おおとうのみや)と呼ばれ親しまれている。 |
鎌倉市二階堂154 0467−22−0318 鎌倉駅から大塔宮行バス終点下車 |
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