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鎌倉宮の例大祭は、8月19日から21日の3日間にわたって執り行われます。 19日、20日の夕刻からは盆踊りが行われ、夜店も出て賑わいます。 最終日の後鎮祭(こうちんさい・のちしずめのみまつり)は、祭神の護良親王に例祭が無事終わったことを報告し、御霊を鎮めるための神事。 |
前夜祭 | 8月19日 16:00 |
例大祭 | 8月20日 11:00 |
後鎮祭 | 8月21日 10:00 |
鎌倉宮は、1869年(明治2年)、明治天皇が護良親王を祀るために創建しました。 護良親王は、後醍醐天皇の第三皇子。 天台座主(延暦寺の貫主)を勤め、大塔宮(おおとうのみや)とも呼ばれました。 |
護良親王は、後醍醐天皇とともに討幕の戦いで活躍しますが、1334年(建武元年)11月、足利尊氏と対立して鎌倉の東光寺に幽閉されてしまいます。 翌1335年(建武2年)7月、北条高時の遺児時行が反乱(中先代の乱)を起こすと、鎌倉を守っていた足利直義は・・・ 7月23日、護良親王を殺害して鎌倉を逃れました。 時行が護良親王を奉じる危険があったためと考えられているようです。 護良親王の首は、理智光寺の住僧によって葬られたと伝えられています。 鎌倉宮は護良親王が幽閉された東光寺の跡に建てられています。 |
護良親王墓 |
理智光寺跡 |
護良親王が殺害された7月23日は、現在の暦にすると8月20日。 鎌倉宮例大祭は護良親王の命日にあわせて行われています。 参考までに・・・ 東慶寺第五世の用堂尼は、護良親王の妹。 護良親王の菩提を弔うために東慶寺に入ったのだといわれています。 |
大塔宮と呼ばれた護良親王〜なぜ大塔宮なのか?〜 |
村上義光は、吉野山で護良親王の身代わりとなって自刃した武将。 鎌倉宮の村上社は義光を祀っています。 |
義光の遺体は里人によって葬られたと伝えられ、その地には村上義光の墓が建てられています。 |
護良親王の身代わりとなって自刃した村上義光 |
鎌倉宮は、護良親王を祀るため明治天皇が創建した。 長い歴史において、「天皇自らが創建」した神社は鎌倉宮のみ。 |
鎌倉市二階堂154 鎌倉駅から大塔宮行バス終点下車 |
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